★鎌倉淡水魚紀行★ 落ち鮎(オチアユ)の時期になりました(鎌倉の川/秋編)
今年もあまりの猛暑で、暦(こよみ)を疑いたくなるほどだった(本当に秋なんてくるのかと)。しかし、あれだけの猛暑であっても、立秋(8月7日)を過ぎると空は秋になっているし、秋分(9月23日)となれば、夏の名残よりも秋の便りの方が多くなっている。彼岸花なんてまさにドンピシャなタイミングで出てくる。この暦の教えは、長い歴史で培った知恵の賜物であり、よくも先人はこの法則を導き出したものだと感心してしまう。
あの真夏の鬱陶しかった日差しも今となっては弱々しく、夏の暑さをより一層引立てたセミの声もいつの間にかコオロギに代わり、辺はすっかり秋景色に・・・。それは景色だけでなく、魚にも顕著に表れるようになりました。
さて、あの盛夏の神戸川を賑わせていたアユ達はというと・・・、はい、まだここにおります。しかし、かつての若かれし頃の面影はなく、体は成熟を意味する暗色を施し、身を寄合い産卵の準備をしておりました。
<写真>
圧巻のフィナーレ。大集結するアユ達。こんなにスゴいことが、鎌倉の川で起こっているんです!
春にはあれだけ多くの稚アユが上ってきましたが、そこから大きな生存競争が繰り広げられました。大部分は自然淘汰され、結果として生き残ったのがここにいるアユたちです。どんな生物も例外なく自然界の大原則に従うことになるのです。
春、夏、そして秋…、季節の移り変わりをアユと共に過ごしてきたが、いよいよお別れが近づいてきた。はじめは数十匹の小さい群れを形成し、それぞれが合流を繰り返し、やがては数百匹、数千匹、そして数万匹へと・・・、“産卵” という生涯の最終目標に向けて神戸川全域にいるアユが集まります。それが一斉に川を下り産卵、そして生涯を終えるのです。
これら川を下るアユのことを “落ちアユ(オチアユ)” といい、秋本番を知らせる季語にもなっております。
アユは年魚(寿命は1年)、もし人間なら70~80年かけて全うする事をアユはたった1年でやってのけます。もちろん、生物それぞれに異なる時間を持っており、生涯のモノサシ尺度が全然違うのだけれども、それにしてもアユは寿命が短く儚いと感じてしまいます。そして、この写真が、今年のアユ達の見納めとなりました(さようなら)。
このようにアユは、“親は子を知らず、子も親を知らず” な生涯を送りますが、ちゃんと次世代にバトンタッチし続けてるのですね。
それから1週間後・・・。この記事を書いている今、もう神戸川にはアユの姿はありません。
産卵したアユ達は生涯を終え、卵は2週間程で孵化し~来年春まで沿岸付近で過ごします。そして桜が咲く頃には次世代のアユ達が遡上し、再びこの川の賑いを約束してくれることことでしょう。