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フィッシュナビのブログでは、私と出会う魚や生物、そして鎌倉の身近な自然と季節を日常生活に交えて記事にしております。
普段そこにいる誰もが目にする光景ながらも、(当たり前すぎて)見過ごしがちな素朴なネタを見つけ、そこに秘めた魅力を浮彫りにしていきたいと思います。自然が相手なので記事の更新は気まぐれ!でもコツコツ地道に発信していきますので、読んでくださった皆さまにとって何らかの情報になれば幸いです。何気ない散歩道が、もしかしたら今までにない輝きを放ち “特別な場所” に変わるかもしれません。
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★フィッシュナビ★ サーモン会(開高健記念会/アラスカ・サーモンフィッシングツアー)

  • 2012/09/11 21:33
  • カテゴリー:日記

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今年で8回目、開高健記念会のアラスカ・サーモンフィッシングツアーも無事終了し、アラスカへの熱い思い出が冷めやらぬ8月下旬、記念会の皆さんと恒例のサーモン会を開催しました。
今回アラスカツアーにご参加されたお客様を囲み、釣ったサーモン料理を酒の肴に、ツアー報告、皆さんの釣り自慢などのお土産話で盛上がりました。参加者は30名、半数は過去にアラスカツアーにご参加されたお客さん、そして半数はアラスカに興味のある方です。色褪せない思い出ばなしにふけ、その魅力を皆で分かち合いました。

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今のご時世、全てが揃って不自由することはないと思います。でもアラスカに行って感じるのは、全てが揃っていなくて「思い通りにうまく行かない」ことです。何かと不便なことが沢山でてきますが、その不便さを受入れると、かえって気持ちを楽にさせてくれ、その環境に順応するのも案外心地よいものです。

お客様からはこんな感想を頂きましたので一部抜粋します(↓)。

■「本来人間が持っている本能や順応性を垣間見ることができたのには、自分も驚いた」 
■「一年で10日間ぐらいは自然とガイドに全て身を任せるのもいいもんだなぁ~」
■「アラスカに行くと、日常生活で悩んでいたことがチッポケに思えてしまう」
■「パソコンと携帯電話に無縁な生活も良いもんだな~」
■「野生動物を見つけるのが早くなった」
■「日本の常識が、アラスカでは非常識、全てが新鮮だった」

などなど・・・お客さんからの心こもった感想がとても印象的でした。

お客さんがアラスカで釣ったサーモンを調理しました。素直に「美味しいかった」と言えば済む話ですが、わたしの場合は異なる解釈を持っております。アラスカに行くのも大変~、大自然でサーモンを釣るのも大変~、そして釣ったサーモンを日本に持帰るための段取りも大変~、それら重みが十分に分かっているだけに、目の前にあるサーモン切身から長い道のりをしみじみ感じてしまうのです。

これで今年の開高健記念館のアラスカ・フィッシングツアーが無事に終了したと改めて実感しました。後日、記念会の専属ガイドであるジョニーにその旨を報告すると、とても喜んでくれました。10月になればアラスカは雪が降り、これから長く厳しい冬を迎えます。


★開高健記念会との出会い
もし私が開高健さんの本「オーパ」に出会わなければ、今日のフィッシュナビが存在しなかったと言っても過言ではないでしょう。
私はいち読者として、作家「開高健」著書のオーパに感化された一人であることは「フィッシュナビの歩み」でも述べた通りですが、それは私の海外フィッシング・コーディネーターの中にも、オーパに登場した同じ舞台を再現したフィッシングツアーを幾つも用意するほどでした。
フィッシュナビでは、「アラスカのキングサーモン釣り」「中米コスタリカのターポン釣り」「南米パンタナールのドラード釣り」の3ツアーモデルを作り、お客様のコーディネートをしておりました。

開高健さんといえば、小説、ルポ、エッセイ、国内外のフィッシング紀行など、多彩な分野で活躍した作家ですが、私の視点からみる開高さんは、日本に「海外フィッシング」というものを広めた功労者の一人というイメージが強いです。ただ平成元年(1989年)58歳の若さでお亡くなりされ、(当時まだ13歳であった私にとって)開高さんといえばテレビや本の世界だけに登場する人でしたが、その後、私の人生に大きな影響を与えた人物でもあります。

それから16年後(2005年)、「フィッシュナビ」を立上げたと時、その報告の意味を込めて、開高健記念館※(神奈川県茅ケ崎市)に出向いたのでした。

※)開高健記念館とは、
開高さんは、1974年(昭和49年)に東京杉並から茅ヶ崎市東海岸南のこの地に移り、~1989年(平成元年)にお亡くなりになるまでここを拠点に活動を展開されました。なお、夫人の牧羊子さんが亡くなられて、遺産継承者である夫人の妹の馬越君子さんが土地建物を茅ヶ崎市に寄贈され開高健記念館の管理を茅ヶ崎市が、また、展示および運営については開高健記念会が茅ヶ崎市から受託して、現在に至っております。

記念会の運営関係者の方々は、何らか開高さんと所縁のあった方と思いますが、世代的には私の2~3まわり離れており、むしろ自分の親世代(もしくはそれ以上)といってよいです。そこには(私には全く備わっていない)文学知的な会話が飛び交い、まだ20代であった私にとっては全く次元の違う世界だったことを覚えております。
私がフィッシュナビ事業の話をすることなんておろか、結局私から話し出すことすらできず、(畏怖の念を抱いたまま)ただ “来館者の一人として” 振る舞うのが精一杯だったことを今でも覚えております。唯一の助け舟は、テラスに置かれていた来館者の記帳、せめてもの想いで今までの経緯をありのまま綴り(←ちょっと余計なことを書きすぎたかなと後悔しつつも)、そっと退館しようとした瞬間、「ちょっと待って!」と強い口調で呼び止められたのでした。
声を掛けてくださったのは、当時、開高健記念会の副会長をされていた吉澤一成さんでした(現開高記念会評議員/日本ペンクラブ在籍)。当時はサントリー広報部長をされており、いわば開高さんの直属の後輩にあたる方で、寿屋時代(昔のサントリーの社名)から開高さんと一緒に仕事をされていたとのことでした。
そこで、ここまでの歩みの一連を話すことになり、この日を境に “開高健さんに一番近い人達” とアラスカフィッシングツアーのお仕事をさせて頂くことになりました。

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名ガイドのジョニー(右)とランス(左)
小さい頃から憧れたフィッシングガイドと一緒に仕事をするとは、夢にも思いませんでした(アラスカ半島にて)

★開高健記念会アラスカフィッシングツアー★

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「開高健記念会/アラスカ・フィッシングツアー」というは、私が勝手に名付けたものであって、その前身となるのは、開高健さんご本人をはじめ、開高さんの旧友であり日本のルアーフィッシングの草分け的存在であった常見忠さん、そして吉澤さんを中心とした記念会の方達が長年かけて築き上げてきたものです。
そしてもうひとつ、このアラスカフィッシングの要(カナメ)となるジョニーの存在に触れなければなりません。

ジョニー(ジョニー・ロバート・ハリス)
年齢は61歳(2012年時点)、20代の頃はモンタナ州で10年フィッシングガイドを経て、アラスカで40年以上ガイド業に従事(現在も更新中)。開高健の初ムービー「河は眠らない」では、巨大なキングサーモン(キーナイキングのセカンドラン)との格闘を描いた非常に難しい撮影要求に応じ、それを見事成功に導いた中心人物として知られております。まだ1980年代初期の頃、まだ若かれし頃のジョニーの実力と素質を開高さんと常見さんが認め、その後アラスカの凄腕フィッシングガイドになりました。
90年代半ば、キーナイの郊外(Nikisuki)に湖付きの土地を購入し、そこに自らの手でロッジを作ってしまうのだから、彼の言うこと成すことが(スケールが大き過ぎて)もう普通でありません。開高さんは「海外フィッシング」を日本に広めた功労者だとすれば、ジョニーは「アラスカフィッシング」を日本に広めた功労者であると言ってよいでしょう。特筆すべきは、自身がロッジのオーナーであり、フィッシングをはじめ、バードウォッチング、ハンティングのガイドでもあり、小型水上飛行機のパイロットでもあり、アラスカ全域のコーディネーターでもあります。まさに肩書多きのオールラウンダーなガイドで、フィッシングガイドの総合力において、彼を超すガイドはいなのではないかと、私は思っております。

そのジョニーのロッジがあるキーナイ半島には、渓谷、本流、湖沼、原生林、山岳氷河、海岸などなど、アウトドアライフに必要なものが全て揃っており、釣り、トレッキング、カメラハンティング、キャンプなど本格的なアクティビティーを楽しむことができます。つまりキーナイ半島に拠点を置けば、川でサーモンを狙うもヨシ、海でハリバット(オヒョウ)や根魚を狙うもヨシ、更なるは小型水上飛行機を使ってキーナイ以外の秘境に出かけるもヨシ(フライイン・フィッシング)、様々なフィッシングスタイルを提供してくれるのです。

ジョニーのロッジへは、アンカレッジから車で4時間とアクセスもよく(距離にして125マイル=約200km)、残雪残る山々を見ながら雪解けでグレー色になったターナゲン入江沿いを奥まで走らせます。寄り道でちょっとマタヌスカ氷河を観光しつつ、キーナイ半島の横断に入ると景色が一転、山に囲まれ川沿いにはキャンピングカー、キャンパー、トレッカー、そしてサーモンをぶら下げた釣人達が目に入り、釣り客の気持ちをより一層高ぶらせてくれます。それも後半になるとキングサーモンフィッシングのメッカでもあるソルドトナ(Soldotona)の町を経由して、隣町キーナイへと向います。
もし国内線(飛行機)を使えば、アンカレッジ空港~キーナイ空港まで30分程で移動できますが、道中の景色を略すのは余りにも勿体ないので、私がコーディネートさせて頂く場合には「陸路でゆっくり景色を楽しみながら」目的地に行くスタイルを取っております。そしてウェルカムディナーは必ず 「ダンジネスガニの食べ放題」をメニューに組込み、最大限のオモテナシをさせて頂いております(アンカレッジで調達します)。

アラスカという大自然が相手であるゆえ、余儀なくスケジュールが変更することが多々あります。その具体例の1つとして、川のクローズ(釣り禁止になること)が挙げられます。アラスカではサーモンの資源を維持するため、河口で遡上するサーモン数をカウントし、もし数が少ない場合は一時的に川をクローズ(釣り禁止)します。このレギュレーションは週に一度更新され、特に旅行者数の多いキーナイ半島の河川はその影響をモロに受けます。「せっかくアラスカに来たのに釣りができません」という展開はよくある話なので、キーナイを選ぶ場合には「いざという時」のために他のエリアに移動できる手段(いわばサブメニュー)を持っておく必要があります。
それを可能にしてくれるのは、ガイドのジョニーのロッジから10分程の所に小型水上飛行機発着場があり、そこからの逃げ道(打開策)を見出してくれます。ただ前編で述べた通り、キーナイ半島はいろいろ楽しめる要素があるので、その基本メニューはシッカリ押さえつつも、サーモン遡上状況や天候に応じて柔軟にサブメニューを決めます。

今年のツアーもレギュレーションに引掛かってしまったので、後半はキーナイ半島を離れ「キャンピング&フィッシング」となりました。行き先は何候補かありますが、その受入先にはジョニーの旧友ランス(このエリア一帯のフィッシングを得意とするガイド)がおり、この2人がタッグを組んでお客様をケアーします。ランスはフィッシングガイドだけでなく、キャンプ経営も手掛けており、そのおかげで大型テントでの快適なキャンプ生活を楽しむことができます(※クマが出没するので周囲を高圧電線で囲います)。ここまでしてしまうと川は貸切り状態、誰にも邪魔されることなく時間無制限に思うがままフィッシングを楽しんでもうことができます。

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水上飛行機発着上で記念撮影(一番右にいる人がワタシ)。お客様に思いっきりアラスカのフィッシングを楽しんでもらうよう、一生の思い出になりますよう、ベストを尽くしてご対応させて頂きます。

★アラスカ(釣り)ツアー雑学(その1)
アラスカツアーの心得の1つとして「自然への要求が強ければ強いほど、費用もそれに比例する」ことを覚えておきましょう。
車の入れない奥地へ行くには、当然ながら小型水上飛行機の手配が必要になります。そして、奥地に行けばグリスリー(アラスカヒグマ)のテリトリーに入るわけなので、安全面でも優秀なガイドの同行が必要になりますので、それに伴う移動費や人件費もかかるからですね。

★アラスカ(釣り)ツアー雑学(その2)
アラスカのサーモンフィッシングは、ガイドの力量がモノを言いますが、その中で1つだけお客さんご自身で判断しないといけないことがあります。
それはサーモンのキープ数(お持ち帰りできる数)、この決断が今後の釣果の良し悪しに明暗を分けます。ここアラスカでフィッシングする場合、必ずレギュレーション(規則)に従わないとなりません。細かくは割愛しますが「キングサーモン」の場合でお話すると、キープ数はツアー期間中(もしくは1シーズン中)に1人2本迄、かつ1日1本までが原則(サーモンの種類により、エリアや状況によりルールはマチマチです)。
キープする場合はともなく、もし小さくてリリースする場合には「速やかに」逃がしてあげないとなりません。「速やかに」というのは、撮影したくてサーモンを手で持ち抱えたり、地上に上げるのは厳禁!リリースする魚に対し日本的な撮影(魚を持ってポージングする)はここアラスカでは全く通用しません。もしそれを実践したなら、ガイドにお叱りを受けるでしょう。基本的には、ネットインし全身が川に浸かっている状態か、リリース時の一瞬の撮影となり、(もっと写真を撮りたかったなぁと)未練を残しながらリリースとなります。リリースに対する考え方は流石アラスカ、キープする場合、ガイドに「keep!」とその旨を伝えれば、こん棒でサーモンの頭に一撃入れ絶命させます(サーモンの苦痛をなくすためです)。その後、思うように撮影して頂く流れになります。

またキングサーモン(ファーストラン)のサイズは、他種サーモンとは違いサイズが一定ではなく~80cm(20ポンド弱)もいれば、120cm(40~50ポンド)を超える大物もおります。それゆえにリリースするか否か、その判断に迷いが生じてしまいます。
キングサーモンのキープ可否の判断について、その判断材料の1つとして私はお客様にこう答えております。2本ともキープ(お持ち帰り)を前提にする場合、6月に釣れるファーストランはアベレージが90cm/25ポンド(約11㎏)と推測します。その境目はサーモンのコンデョション次第ですが20ポンド以下はリリース/30ポンド以上がきたらキープの目安にしてください(1本目に関しては)。やはり手元1本キープしておくと心にゆとりができ、手元に「ある」と「ない」とでは今後ツアーの過ごし方が大きく変わってきます。2本目はお客さん自身のアラスカツアーの目的(食なのか、剥製にするのか、一発大物狙いなのか、雰因気なのか、他)に応じてアドバイスをします。最終的にはその時の成り行きでコトが進むのですが、心の中で段取りして挑んでもらうよう、お客様にはそう事前説明をしております。

特にキーナイ川のキングサーモンの遡上は、大きく2度に分けられ(ファーストラン、セカンドラン)、特にセカンドランのキングサーモンは“KING OF KING”(キングの中のキング)と呼ばれその大きさは通常の2倍と超特大!釣れるサーモンの平均は何と40ポンド、運がよければ60ポンドを超える(130~150センチ級)大物も夢ではありません。ちなみに世界記録(公式記録)は97.4ポンド(約44キロ)(1985年/故Les Anderson氏)!その剥製はSoldotna Visitor Center(ソルドトナ観光案内所)に寄贈され、そこに訪れれば誰もがワールドレコード・キングを見ることができます。

因みに、私が今までに見てきた中で一番大きかったセカンドランのキーナイキングは、87ポンド(39キロ)のオス、大きさは148センチ(59インチ)という怪物です。場所はもちろんキーナイ川のソルドトナ地区、2004年夏の出来事でした。もちろん私が釣ったものではありませんが、それを持っている釣人の笑顔が羨ましくてなりませんでした。

サーモンの大きさ基準について、
日本では「大きさ(長さ)」を重視する場合が多いと思いますが、アメリカ(アラスカ含む)や他国では「重さ」を重視します。
つまり、125センチ(40ポンド)のキングと、120センチ(45ポンド)のキングでしたら、後者の方が「大きい」と評価されます。
単位についても、日本では重さ(kg・キログラム)・長さ(cm・センチ)を用いますが、アラスカ含む海外では、重さ(lb・ポンド)・長さ(inch・インチ)を使いますので、それも覚えておきましょう。
1ポンド=0.45キログラム(450ℊ)、1インチ=2.5cm

★アラスカ(釣り)ツアー雑学(その3)
夏(6月~8月)のアラスカ(アンカレッジ)の気候は、日本の季節で例えると4月上旬ぐらい(もしくは晩秋ぐらい)に相当するので、0~20℃ぐらいになります(晴天時は15~20℃、曇天時や早朝は10℃を下回ります)。
気温の単位も異なり、日本では摂氏(せっし・℃)を用いますが、北米圏では華氏(かし・F)を用います。例)0℃(32F)、5℃(41F)、10℃(50F)、15℃(59F)、20℃(68F)。
換算式は、摂氏(度)=(華氏-32)/1.8 という法則みたいです。

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★アラスカ(釣り)ツアー雑学(その4)
アラスカに行かれるお客様からよく受けるご質問があります。
それは「釣ったサーモンを日本に持ち帰りたいけど、どのような段取りをすればよいのか?」という釣人ならではのご質問です。
結論からいうと、釣った魚は「検疫の対象にならない」のでそのまま受託手荷物(じゅたくてにもつ)扱いでOK!つまりスーツケースと同等の扱いですので、そのままチェックイン時に航空カウンターに預ければ、日本の空港までスルーで届きます。私がコーディネートしたお客様は、ほぼ日本にお持帰りされる方が殆どです。また、アラスカ滞在中に釣った魚の保管も心配なく!ジョニーのロッジには大きなフリーザーが設備されておりますので、どんな大物でも翌日にはキンキンに凍っているでしょう。

今までの経験ですと、お客様のサーモンお持帰り数は一人当たり5本(他種サーモンも混合)ぐらいですが、それらを丸ごと全て持ち帰るのは重すぎるので、三枚に下ろしたり~、ブロックにしたり~、何らかの加工をしてコンパクトにしてからフリーザーで保管します。そして最終日に帰り支度時に梱包するような段取りにしてます。
もしトロフィーサイズの大物が釣れ、思い出として「剥製」にしたい場合は、サーモンを丸ごと冷凍します。ただキングサーモンはとても大きいので、市販品の保冷箱ですと小さすぎて入りませんので、箱を2つ購入しニコイチ(2箱を合わせて1つにする)に加工すればOKです。日本に帰国したら、空港からそのまま剥製業者に送る(もしくはご自身で工房まで持ち込む)ような段取りをします。
因みに剥製料金は、小さい魚であればセンチあたりの換算(1,200円/センチ)、大型魚の場合は重さ換算(kgあたり1万円)ぐらいで、仮に130センチのキングサーモン1体を剥製にすると、15万~20万円ぐらいかかるのではないかと思います。ご要望に応じて、それらサーモン剥製の作成経験が豊富な職人さんを紹介しております。

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