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フィッシュナビのブログでは、私と出会う魚や生物、そして鎌倉の身近な自然と季節を日常生活に交えて記事にしております。
普段そこにいる誰もが目にする光景ながらも、(当たり前すぎて)見過ごしがちな素朴なネタを見つけ、そこに秘めた魅力を浮彫りにしていきたいと思います。自然が相手なので記事の更新は気まぐれ!でもコツコツ地道に発信していきますので、読んでくださった皆さまにとって何らかの情報になれば幸いです。何気ない散歩道が、もしかしたら今までにない輝きを放ち “特別な場所” に変わるかもしれません。
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ハンザキ(オオサンショウウオ)夜間撮影 ~伯耆国・大山開山1300年記念~

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国の特別天然記念物ハンザキ(オオサンショウウオ)の撮影。鳥取県大山町の河川にて。

草木が眠る丑三つ時、山陰部落の山沿いを歩いてみる・・・、
街灯のない山間部は恐ろしいほど暗く、足元を照らす懐中電灯をパッと消そうなら、辺りは一瞬にして漆黒の世界と化す。そんな暗闇に身をおかれると、いかに人間が弱い生物であるかを思い知らされる。微かな物音ですらビクッとし、背中の汗がスッ~と滴るだけで背筋がゾッとする。もうここまで恐怖心が研ぎ澄まされると、お化けや妖怪にとって格好の餌食なようなもので、いつ奴らが出てきてもおかしくないと(覚悟を決めてしまう)。

ただ私も怖がってばかりはいられない。この川に棲んでいるヌシに会いたい一心で、カメラを持ってこの闇の中で肝試しをしているようなものである。

そして、滝にライトを照らすと沢登りする川のヌシを発見!
そう、この川のヌシこそが、太古2500万年以上前から姿形を変えていないハンザキ(オオサンショウウオ)だ。中国山陰地方では、このオオサンショウウオのことをハンザキと呼ばれている。
一歩、そしてまた一歩、流れに逆らいながらも力強く登ろうとする姿は、まるで地獄から這い上がる妖怪そのもので、その無表情さといい、このブツブツ感といい、薄気味わるい。もちろん、この生物に対して最高の褒め言葉である。その唯一無二の存在感は、もう近代生物では例えようがなく、両生類というよりむしろ恐竜に近いといってよい。

では、その見かけをスイーツで例えるなら、大きな「黒ごま饅頭」をペチャンコにして、そこに「タピオカ」を散りばめた感じ。強引な例えだが、もうこれ以上に説明しようがない。

写真撮影の相手が相手だけに、こういったチャンスは滅多にない。しかし根気よく続けていると、こういう出会いもやってくるもので、その時はいつも突然!「待ったナシ」の一発勝負だ。まさに己が試された瞬間的な一枚であった。

さて、今回のブログ記事は、山陰地方(鳥取県大山町)の里山が舞台です。
年に1回、恒例の大山への里帰りも今年で15回目を迎え、家族皆がこの日を心待ちにしている。しかも今年(2018年)は「伯耆国大山/開山1300年」という記念すべき年で、鳥取県にとって歴史的にも大きな節目を迎え、その盛り上がりは凄まじいものであった。

因みに、大山(だいせん)とは、鳥取県にある中国地方最高峰の山(標高1729m)のこと。かつて大山の山そのものが信仰の対象とされ、そこに大山寺が建てられた年(奈良時代718年)を起源とし、2018年でちょうど1300年を迎えたのでした。伯耆国(ほうき)とは、鳥取県西部(倉吉、大山、米子、境港)の旧国名の呼び名で、鳥取県に入るとよく目や耳にする言葉である。そのため、大山ひとつとっても、伯耆大山(ほうきだいせん)とセットで呼ばれることが多い。
そんな大山周辺エリアの川は、オオサンショウウオの生息地として昔から知られております。

オオサンショウウオとは、日本を代表する国の特別天然記念物であり、また世界最大の両生類であり、生物界においては十分すぎるほどの認知度です。たとえ実物を見たことがなくても、写真や図鑑など何かしらの形で見たことがあるのではないかと思います。
因みに、日本の「天然記念物」とは、文化財保護法に基づき文化庁が管轄しており、日本にとって学術上価値が高いものを守る(=日本の「自然史」や「文化史」を守る)ことを最大の目的としている。その対象となるのは、1)動物 2)植物 3)地質鉱物 4)保護区域の4つのカテゴリーに分けられており、現在約1000件の天然記念物が登録されているといわれています。
中には「これのどこが天然記念物なの?」とツッコみたくなるもありますが、その中でとりわけ重要な位置づけのものを「特別~」と格上げし、現在、その特別天然記念物は75件が登録されている。その中の動物部門では21件(全75件中)の登録があり、このオオサンショウウオをはじめ、トキ、ライチョウ、カモシカ、イリオモテヤマネコ、タンチョウなどなど、どれもその希少さゆえによく聞いたことあるメンバー達ばかり。
そんなオオサンショウウオも1952年(昭和27年)に特別天然記念物に格上げされたが、それまで地方山間部では貴重なタンパク源として食されていたことは意外に知られていない。
あの陶芸家であり美食家でもある魯山人(北大路魯山人/明治16年~昭和33年)がオオサンショウウオを料理して食べた話は有名で、著書(魯山人味道)によると、「フグとスッポンを足して2で割ったような味」と書かれている。あれだけグロテスクな姿ながら、皮を剥ぐと身は美しく味は上品という。それゆえ川の鮟鱇(アンコウ)に例えられたりもした。

そんな私がオオサンショウウオに興味を持つようになったのも、カミさんが鳥取県大山町出身である事が大きい。そしてここまで熱く語るのだから、さぞかし多くの出会いがあったのであろうと思われがちですが、実はたった4回しか出逢ったことがありません。ハンザキの生息地として有名だからといっても、そう滅多に会える生物ではないのです。15回の里帰りうち4回の遭遇なので、遭遇率は25%ほど(4年に1度会えるか否か)と非常に低い。

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ちょっと気分転換。ここで鳥取大山町はどんな町であるか? ちょっとだけ観光案内します。
まず大山へのアクセスは、飛行機を使うと案外と近く、まずは大山の玄関口である米子(よなご)へ向かいます。
東京からですと、羽田空港からANA(全日空)が米子への定期便を飛ばしており(その就航数は何と1日4本という充実ぶり!)、フライト時間もたった1時間ちょっと。羽田を離陸して~、上空でお茶飲んで~、そしてうたた寝する頃にはもう着陸の機内アナウンスが・・・。せっかくの楽しい空旅なのに、ちょっと物足りなく感じでしまうほどの短さです。
ここで私からのワンポイントアドバイス! もし「米子行き」のフライトに乗る時は「左側」の座席を選ぶと良いでしょう。天気がよければ、上空から「富士山」と「大山」を望むことがで、まさにWチャンスがあるからです(右側席だと見れない可能性大です)。
そして米子に到着すると、山陰本線という日本海沿岸を走るローカル線(単線のワンマン電車)に乗換え、大山方面へ向かいます。果てしなく続く真っすぐな1本の線路に、日本海と田畑の風景が延々と続きます。沿線にある駅の殆どは無人駅で、その長閑で田舎的な雰因気はオツなものであるが、いかんせん運行が1時間で1本あるか否かなので、もし乗り遅れようなら命取りです。また列車の乗降時も注意が必要で、自ら「開閉ボタン」を押さないとドアは開きません(手動式)。

そんな土地柄なので、生活の足となるのはやはり「車」であり、何をするにも車が必要となる。徒歩圏内にコンビニがなければ、徒歩で買物に行くという感覚は、0ゼロ(ない)と言ってよいでしょう。そのため、車の所有率が非常~に高く「一家に一台」ではなく「一人一台」レベル、もう車はただの移動手段だけではなく、良き相棒みたいな存在です。それはカミさんの実家でも例外なく人数分の車(+農作業用の軽トラ1台)が備わっていた。
山陰の地に足を踏み入れると、そのライフスタイルだけでなく、そこに生息する生態系までもが全く異なっており、全ての出会いや体験が私にとって新鮮であった。
また地理的観点からも、日本海側に面した山陰地方(さんいん)は、太平洋側(瀬戸内)に面した山陽地方(さんよう)とは対照的に、山影や雲(つまり雨や雪)が多く、普段の大山は雲に覆われていることが多い。しかし、夕方になると急に雲が消え、視界がパッと開け、山頂が露わになる時間帯がある。これが毎日のように起こるものだから不思議でならない。そして、その後に訪れる夕日は「本当に美しい!」の一言に尽きる。「夕日なしには山陰は語れない!」これはカミさんがよく口にする言葉で、この夕日の美しさは山陰で暮らす皆が知るところである。

そしてもう一つ、鳥取県西部を語る上で、触れておかなければならないのが「妖怪」の存在である。
この天井画は、大山寺の塔頭(たっちゅう)である円流院にて、108枚もの妖怪画(ゲゲゲの鬼太郎シリーズ)がはめ込まれている。
そう「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親である「水木しげる」氏は、鳥取県が誇る妖怪漫画の第一人者である(鳥取県の境港市出身)!
冒頭で、鳥取県西部エリアを=伯耆(ほうき)と述べたが、それ以上に露出度が高いのは、間違いなくこの「キタロウ」であろう。それは米子を歩くだけで十分に説明はつくが、境港の水木しげるロードや記念館をはじめ、お土産、観光ポスター、列車のペイント(境港線)、そして極めつけは米子空港の名前までもが(米子鬼太郎空港に改名)~、兎にも角にも “ゲゲゲの鬼太郎” 一色なのだ。NHK連続テレビ小説の「ゲゲゲの女房」を皮切りに、この10年の鬼太郎ブームは相当なものであり、2015年作者没後も~、そして令和になった今も~、この鬼太郎旋風は衰えるどころか、むしろ勢いを増しているのであった。
そんな水木しげる氏の世界観は、(良い意味で)薄気味悪く独特なものであるが、やはりこの山陰という深山幽谷の地で育ったからこそ、このような妖怪作品が生まれたのでは?、私にはそう思えてなりません。

閑話休題!ハンザキの話に戻します。
さて、私が生まれて初めて野生のハンザキに出会ったのは、2006年/年末年始の帰省の時。
ここは冬の日本海、灰色の空に荒れ狂う海、そして降りしきる雪。とにかくやる事がなくノンビリと過ごす日々でした。そんな中、唯一の暇つぶしを見出したのは、冬の「雑魚釣り」であって、雪のやむ合間をみては竿とバケツを持って最寄りの川に出向くのでした(※ここでの雑魚=カワムツやタカハヤのことをいいます)。そんな雑魚釣りを楽しんでいたら、川底に巨大生物らしきものが横切ったのでした。
その大きさは80センチほどで、初めは「岩かな?」と錯覚したが、それには間違いなく短い手足がついており、ゆっくり動いているのである。気温は0℃、水温もわずか数℃といったところであろう。両生類などの変温動物は、寒くなると冬眠するのが一般的ですが、このハンザキに関しては例外で一切冬眠をしないことを知った。雪の降りしきる真冬でも、逞しく活動していたのでした(もちろん、この同じ川に棲むイモリや他のサンショウウオ達は皆冬眠中である・・・)。

そして2回目は2009年9月、
川ガニ捕りで、私が川に仕掛けた蟹カゴにまさかのハンザキが入っていたことでした。もう10年前の話ですが、その時の様子を当ブログに記したのでここでは割愛(↓)。
 
■該当記事*感動!オオサンショウウオ(特別天然記念物)に出会う(2009年9月27日)
■補足資料*山陰の川ガニ(モクズガニ)捕り(2016年11月8日)

そして3回目は2017年11月、
こんどは、地元の方が仕掛けた蟹カゴにハンザキが入っていたのを発見し、それを救出してあげたのでした。2回目からもう8年の歳月が経ち、そう簡単にはハンザキには出会えまいと、半ば諦めかけていた頃でした。そんな気持ちで小川でノンビリ雑魚釣りをしていると、誰かが仕掛けていた蟹カゴに何か違和感を感じ、よ~く覗いてみると大きなハンザキが入っておりました。こりゃ大変だとすぐに実家に戻り報告、そして救助要請するも(家族でドラマを見ながの団欒中で)誰も動こうとはしない。暫くして、やっとお義父さんが重い腰を上げ、その仕掛けを見て開口一番「あぁ~こりゃケンちゃんが仕掛けたやつだなぁ~」と迷うことなく当事者の家へ向かった。

ここは10軒ほどの小さい集落の中で、その蟹カゴを見れば、どこの誰が仕掛けたのかが分かるようです。お義父さんが垣根の外から大きな声で「おーい、ケンちゃんのカゴにハンザキが入っとるぞぉー」と状況を伝えたら、家の中から「じゃー逃がしといてくれぇー」と、やっつけな返事がきただけで当人が家から出てくることはなかった。当人としては(ハンザキなんてどうでもよく)お目当てのカニが入ってなくて残念そうな雰因気であった。後々話を聞くと、どうやら町内会の飲み会があり、その酒のアテとして川ガニを調達したかったらしい。

お義父さんから「ハンザキに噛まれたら大怪我するけん!」と軍手とメジャーをポンと渡され、ササッと家に帰ってしまいました。お義父さんからすれば、せっかくの八つ時の団欒をこのハンザキのせいで強制的に損なったわけなので、早く仕切り直しをしたかったのであろう。
そんな大役?を任せられた私は、すぐにカゴを手繰り寄せ~、カゴを開け~、クネクネと暴れるハンザキを出して(噛みつくこうとするのもかわして)~、真っすぐになったところにメジャーを当てて計測、そして元の場所に逃がしてサヨナラっと(※)。私も2度目の経験だけあってオテノモノ、その一連の作業に迷いはなかった。

8年ぶりの再会ながらも、またもや呆気ない別れでした。でも、何よりも5歳の息子に野生のハンザキの姿を直に見せてあげれたことが、今回の旅での一番の収穫だったかもしれません。

※)ハンザキは自分の巣穴を持っており、日中はそこを塒(ねぐら)にしている場合が多いです。そのハンザキは巣穴に対して相当なこだわりを持っているようで、その巣穴となる条件には、まず「入口が狭く」「奥行きが深く」かつ「奥が広く空洞になっている」などが挙げられ、少なくてもこれらをクリアしてないとダメなようです。なので、もし何らかでハンザキを捕獲してしまった場合は、必ず同じ所に逃がしてあげるようにしてください。

山陰のローカル新聞でも、このハンザキの捕獲ネタで誌面を賑わせることがあるが、仕掛けた当事者たちのコメントはというと決まって同じで「もう50~60年、川ガニ捕りをやっているけどハンザキが入ったのは生まれて初めて」と皆口を揃えていう。今回の当事者も「ハンザキが入ったのは人生で初めてだなぁ~」と言ってたし、ましてお義父さんにいたっては「ワシも50年以上やっているけど一度も入った事がない」との事でした。このように話題には上がるものの、一人一人に巡り会う確率は非常に低いのかもしれません。

そして4回目になると、こんどは「自然でありのままのハンザキを撮りたい」という気持ちが強くなり、今回の夜間撮影に踏み切ったのでした。

たった4回の出会いながらも、私に感動と経験、そして多くの知識をもたらせてくれたのは言うまでもありません。それと同時に、地元町民とハンザキとの関わりも見てきましたが、その対応はいたって「ふつう」であった。むしろ大騒ぎしているのは、部外者の私だけであって、カミさんも、その家族も、近所の人も家から出てくることがなかったし、その後話題に出ることもなかった。その感動レベルは非常に低く、おそらく日常茶飯事なのであろう。

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私のお気に入りパワースポット・金門にて(標高800メートル地点)

2500万年もの前から姿形が変わっていないオオサンショウウオの存在は、進化の過程を知る上でも、重要なポジションであると言われております。
しかし、このように変わらない(=進化しない)というのは、どの時代においてもこれが最善の形態なのかもしれない、そう解釈することもできます。ただハッキリ言えることは、恐竜時代~現在までがそうであったように、これからも~、そして遠い未来においても同じ形であり続け、このフォルムは常に “時代を先取り” していく事でしょう。

ハンザキの出会いは時の運!
次はどんな出会いになるのか分かりませんが、5度目を心待ちしたいと思います。

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