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江ノ電
フィッシュナビのブログでは、私と出会う魚や生物、そして鎌倉の身近な自然と季節を日常生活に交えて記事にしております。
普段そこにいる誰もが目にする光景ながらも、(当たり前すぎて)見過ごしがちな素朴なネタを見つけ、そこに秘めた魅力を浮彫りにしていきたいと思います。自然が相手なので記事の更新は気まぐれ!でもコツコツ地道に発信していきますので、読んでくださった皆さまにとって何らかの情報になれば幸いです。何気ない散歩道が、もしかしたら今までにない輝きを放ち “特別な場所” に変わるかもしれません。
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カテゴリー「鳥取大山の里帰り」の検索結果は以下のとおりです。

ハンザキ(オオサンショウウオ)夜間撮影 ~伯耆国・大山開山1300年記念~

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国の特別天然記念物ハンザキ(オオサンショウウオ)の撮影。鳥取県大山町の河川にて。

草木が眠る丑三つ時、山陰部落の山沿いを歩いてみる・・・、
街灯のない山間部は恐ろしいほど暗く、足元を照らす懐中電灯をパッと消そうなら、辺りは一瞬にして漆黒の世界と化す。そんな暗闇に身をおかれると、いかに人間が弱い生物であるかを思い知らされる。微かな物音ですらビクッとし、背中の汗がスッ~と滴るだけで背筋がゾッとする。もうここまで恐怖心が研ぎ澄まされると、お化けや妖怪にとって格好の餌食なようなもので、いつ奴らが出てきてもおかしくないと(覚悟を決めてしまう)。

ただ私も怖がってばかりはいられない。この川に棲んでいるヌシに会いたい一心で、カメラを持ってこの闇の中で肝試しをしているようなものである。

そして、滝にライトを照らすと沢登りする川のヌシを発見!
そう、この川のヌシこそが、太古2500万年以上前から姿形を変えていないハンザキ(オオサンショウウオ)だ。中国山陰地方では、このオオサンショウウオのことをハンザキと呼ばれている。
一歩、そしてまた一歩、流れに逆らいながらも力強く登ろうとする姿は、まるで地獄から這い上がる妖怪そのもので、その無表情さといい、このブツブツ感といい、薄気味わるい。もちろん、この生物に対して最高の褒め言葉である。その唯一無二の存在感は、もう近代生物では例えようがなく、両生類というよりむしろ恐竜に近いといってよい。

では、その見かけをスイーツで例えるなら、大きな「黒ごま饅頭」をペチャンコにして、そこに「タピオカ」を散りばめた感じ。強引な例えだが、もうこれ以上に説明しようがない。

写真撮影の相手が相手だけに、こういったチャンスは滅多にない。しかし根気よく続けていると、こういう出会いもやってくるもので、その時はいつも突然!「待ったナシ」の一発勝負だ。まさに己が試された瞬間的な一枚であった。

さて、今回のブログ記事は、山陰地方(鳥取県大山町)の里山が舞台です。
年に1回、恒例の大山への里帰りも今年で15回目を迎え、家族皆がこの日を心待ちにしている。しかも今年(2018年)は「伯耆国大山/開山1300年」という記念すべき年で、鳥取県にとって歴史的にも大きな節目を迎え、その盛り上がりは凄まじいものであった。

因みに、大山(だいせん)とは、鳥取県にある中国地方最高峰の山(標高1729m)のこと。かつて大山の山そのものが信仰の対象とされ、そこに大山寺が建てられた年(奈良時代718年)を起源とし、2018年でちょうど1300年を迎えたのでした。伯耆国(ほうき)とは、鳥取県西部(倉吉、大山、米子、境港)の旧国名の呼び名で、鳥取県に入るとよく目や耳にする言葉である。そのため、大山ひとつとっても、伯耆大山(ほうきだいせん)とセットで呼ばれることが多い。
そんな大山周辺エリアの川は、オオサンショウウオの生息地として昔から知られております。

オオサンショウウオとは、日本を代表する国の特別天然記念物であり、また世界最大の両生類であり、生物界においては十分すぎるほどの認知度です。たとえ実物を見たことがなくても、写真や図鑑など何かしらの形で見たことがあるのではないかと思います。
因みに、日本の「天然記念物」とは、文化財保護法に基づき文化庁が管轄しており、日本にとって学術上価値が高いものを守る(=日本の「自然史」や「文化史」を守る)ことを最大の目的としている。その対象となるのは、1)動物 2)植物 3)地質鉱物 4)保護区域の4つのカテゴリーに分けられており、現在約1000件の天然記念物が登録されているといわれています。
中には「これのどこが天然記念物なの?」とツッコみたくなるもありますが、その中でとりわけ重要な位置づけのものを「特別~」と格上げし、現在、その特別天然記念物は75件が登録されている。その中の動物部門では21件(全75件中)の登録があり、このオオサンショウウオをはじめ、トキ、ライチョウ、カモシカ、イリオモテヤマネコ、タンチョウなどなど、どれもその希少さゆえによく聞いたことあるメンバー達ばかり。
そんなオオサンショウウオも1952年(昭和27年)に特別天然記念物に格上げされたが、それまで地方山間部では貴重なタンパク源として食されていたことは意外に知られていない。
あの陶芸家であり美食家でもある魯山人(北大路魯山人/明治16年~昭和33年)がオオサンショウウオを料理して食べた話は有名で、著書(魯山人味道)によると、「フグとスッポンを足して2で割ったような味」と書かれている。あれだけグロテスクな姿ながら、皮を剥ぐと身は美しく味は上品という。それゆえ川の鮟鱇(アンコウ)に例えられたりもした。

そんな私がオオサンショウウオに興味を持つようになったのも、カミさんが鳥取県大山町出身である事が大きい。そしてここまで熱く語るのだから、さぞかし多くの出会いがあったのであろうと思われがちですが、実はたった4回しか出逢ったことがありません。ハンザキの生息地として有名だからといっても、そう滅多に会える生物ではないのです。15回の里帰りうち4回の遭遇なので、遭遇率は25%ほど(4年に1度会えるか否か)と非常に低い。

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ちょっと気分転換。ここで鳥取大山町はどんな町であるか? ちょっとだけ観光案内します。
まず大山へのアクセスは、飛行機を使うと案外と近く、まずは大山の玄関口である米子(よなご)へ向かいます。
東京からですと、羽田空港からANA(全日空)が米子への定期便を飛ばしており(その就航数は何と1日4本という充実ぶり!)、フライト時間もたった1時間ちょっと。羽田を離陸して~、上空でお茶飲んで~、そしてうたた寝する頃にはもう着陸の機内アナウンスが・・・。せっかくの楽しい空旅なのに、ちょっと物足りなく感じでしまうほどの短さです。
ここで私からのワンポイントアドバイス! もし「米子行き」のフライトに乗る時は「左側」の座席を選ぶと良いでしょう。天気がよければ、上空から「富士山」と「大山」を望むことがで、まさにWチャンスがあるからです(右側席だと見れない可能性大です)。
そして米子に到着すると、山陰本線という日本海沿岸を走るローカル線(単線のワンマン電車)に乗換え、大山方面へ向かいます。果てしなく続く真っすぐな1本の線路に、日本海と田畑の風景が延々と続きます。沿線にある駅の殆どは無人駅で、その長閑で田舎的な雰因気はオツなものであるが、いかんせん運行が1時間で1本あるか否かなので、もし乗り遅れようなら命取りです。また列車の乗降時も注意が必要で、自ら「開閉ボタン」を押さないとドアは開きません(手動式)。

そんな土地柄なので、生活の足となるのはやはり「車」であり、何をするにも車が必要となる。徒歩圏内にコンビニがなければ、徒歩で買物に行くという感覚は、0ゼロ(ない)と言ってよいでしょう。そのため、車の所有率が非常~に高く「一家に一台」ではなく「一人一台」レベル、もう車はただの移動手段だけではなく、良き相棒みたいな存在です。それはカミさんの実家でも例外なく人数分の車(+農作業用の軽トラ1台)が備わっていた。
山陰の地に足を踏み入れると、そのライフスタイルだけでなく、そこに生息する生態系までもが全く異なっており、全ての出会いや体験が私にとって新鮮であった。
また地理的観点からも、日本海側に面した山陰地方(さんいん)は、太平洋側(瀬戸内)に面した山陽地方(さんよう)とは対照的に、山影や雲(つまり雨や雪)が多く、普段の大山は雲に覆われていることが多い。しかし、夕方になると急に雲が消え、視界がパッと開け、山頂が露わになる時間帯がある。これが毎日のように起こるものだから不思議でならない。そして、その後に訪れる夕日は「本当に美しい!」の一言に尽きる。「夕日なしには山陰は語れない!」これはカミさんがよく口にする言葉で、この夕日の美しさは山陰で暮らす皆が知るところである。

そしてもう一つ、鳥取県西部を語る上で、触れておかなければならないのが「妖怪」の存在である。
この天井画は、大山寺の塔頭(たっちゅう)である円流院にて、108枚もの妖怪画(ゲゲゲの鬼太郎シリーズ)がはめ込まれている。
そう「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親である「水木しげる」氏は、鳥取県が誇る妖怪漫画の第一人者である(鳥取県の境港市出身)!
冒頭で、鳥取県西部エリアを=伯耆(ほうき)と述べたが、それ以上に露出度が高いのは、間違いなくこの「キタロウ」であろう。それは米子を歩くだけで十分に説明はつくが、境港の水木しげるロードや記念館をはじめ、お土産、観光ポスター、列車のペイント(境港線)、そして極めつけは米子空港の名前までもが(米子鬼太郎空港に改名)~、兎にも角にも “ゲゲゲの鬼太郎” 一色なのだ。NHK連続テレビ小説の「ゲゲゲの女房」を皮切りに、この10年の鬼太郎ブームは相当なものであり、2015年作者没後も~、そして令和になった今も~、この鬼太郎旋風は衰えるどころか、むしろ勢いを増しているのであった。
そんな水木しげる氏の世界観は、(良い意味で)薄気味悪く独特なものであるが、やはりこの山陰という深山幽谷の地で育ったからこそ、このような妖怪作品が生まれたのでは?、私にはそう思えてなりません。

閑話休題!ハンザキの話に戻します。
さて、私が生まれて初めて野生のハンザキに出会ったのは、2006年/年末年始の帰省の時。
ここは冬の日本海、灰色の空に荒れ狂う海、そして降りしきる雪。とにかくやる事がなくノンビリと過ごす日々でした。そんな中、唯一の暇つぶしを見出したのは、冬の「雑魚釣り」であって、雪のやむ合間をみては竿とバケツを持って最寄りの川に出向くのでした(※ここでの雑魚=カワムツやタカハヤのことをいいます)。そんな雑魚釣りを楽しんでいたら、川底に巨大生物らしきものが横切ったのでした。
その大きさは80センチほどで、初めは「岩かな?」と錯覚したが、それには間違いなく短い手足がついており、ゆっくり動いているのである。気温は0℃、水温もわずか数℃といったところであろう。両生類などの変温動物は、寒くなると冬眠するのが一般的ですが、このハンザキに関しては例外で一切冬眠をしないことを知った。雪の降りしきる真冬でも、逞しく活動していたのでした(もちろん、この同じ川に棲むイモリや他のサンショウウオ達は皆冬眠中である・・・)。

そして2回目は2009年9月、
川ガニ捕りで、私が川に仕掛けた蟹カゴにまさかのハンザキが入っていたことでした。もう10年前の話ですが、その時の様子を当ブログに記したのでここでは割愛(↓)。
 
■該当記事*感動!オオサンショウウオ(特別天然記念物)に出会う(2009年9月27日)
■補足資料*山陰の川ガニ(モクズガニ)捕り(2016年11月8日)

そして3回目は2017年11月、
こんどは、地元の方が仕掛けた蟹カゴにハンザキが入っていたのを発見し、それを救出してあげたのでした。2回目からもう8年の歳月が経ち、そう簡単にはハンザキには出会えまいと、半ば諦めかけていた頃でした。そんな気持ちで小川でノンビリ雑魚釣りをしていると、誰かが仕掛けていた蟹カゴに何か違和感を感じ、よ~く覗いてみると大きなハンザキが入っておりました。こりゃ大変だとすぐに実家に戻り報告、そして救助要請するも(家族でドラマを見ながの団欒中で)誰も動こうとはしない。暫くして、やっとお義父さんが重い腰を上げ、その仕掛けを見て開口一番「あぁ~こりゃケンちゃんが仕掛けたやつだなぁ~」と迷うことなく当事者の家へ向かった。

ここは10軒ほどの小さい集落の中で、その蟹カゴを見れば、どこの誰が仕掛けたのかが分かるようです。お義父さんが垣根の外から大きな声で「おーい、ケンちゃんのカゴにハンザキが入っとるぞぉー」と状況を伝えたら、家の中から「じゃー逃がしといてくれぇー」と、やっつけな返事がきただけで当人が家から出てくることはなかった。当人としては(ハンザキなんてどうでもよく)お目当てのカニが入ってなくて残念そうな雰因気であった。後々話を聞くと、どうやら町内会の飲み会があり、その酒のアテとして川ガニを調達したかったらしい。

お義父さんから「ハンザキに噛まれたら大怪我するけん!」と軍手とメジャーをポンと渡され、ササッと家に帰ってしまいました。お義父さんからすれば、せっかくの八つ時の団欒をこのハンザキのせいで強制的に損なったわけなので、早く仕切り直しをしたかったのであろう。
そんな大役?を任せられた私は、すぐにカゴを手繰り寄せ~、カゴを開け~、クネクネと暴れるハンザキを出して(噛みつくこうとするのもかわして)~、真っすぐになったところにメジャーを当てて計測、そして元の場所に逃がしてサヨナラっと(※)。私も2度目の経験だけあってオテノモノ、その一連の作業に迷いはなかった。

8年ぶりの再会ながらも、またもや呆気ない別れでした。でも、何よりも5歳の息子に野生のハンザキの姿を直に見せてあげれたことが、今回の旅での一番の収穫だったかもしれません。

※)ハンザキは自分の巣穴を持っており、日中はそこを塒(ねぐら)にしている場合が多いです。そのハンザキは巣穴に対して相当なこだわりを持っているようで、その巣穴となる条件には、まず「入口が狭く」「奥行きが深く」かつ「奥が広く空洞になっている」などが挙げられ、少なくてもこれらをクリアしてないとダメなようです。なので、もし何らかでハンザキを捕獲してしまった場合は、必ず同じ所に逃がしてあげるようにしてください。

山陰のローカル新聞でも、このハンザキの捕獲ネタで誌面を賑わせることがあるが、仕掛けた当事者たちのコメントはというと決まって同じで「もう50~60年、川ガニ捕りをやっているけどハンザキが入ったのは生まれて初めて」と皆口を揃えていう。今回の当事者も「ハンザキが入ったのは人生で初めてだなぁ~」と言ってたし、ましてお義父さんにいたっては「ワシも50年以上やっているけど一度も入った事がない」との事でした。このように話題には上がるものの、一人一人に巡り会う確率は非常に低いのかもしれません。

そして4回目になると、こんどは「自然でありのままのハンザキを撮りたい」という気持ちが強くなり、今回の夜間撮影に踏み切ったのでした。

たった4回の出会いながらも、私に感動と経験、そして多くの知識をもたらせてくれたのは言うまでもありません。それと同時に、地元町民とハンザキとの関わりも見てきましたが、その対応はいたって「ふつう」であった。むしろ大騒ぎしているのは、部外者の私だけであって、カミさんも、その家族も、近所の人も家から出てくることがなかったし、その後話題に出ることもなかった。その感動レベルは非常に低く、おそらく日常茶飯事なのであろう。

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私のお気に入りパワースポット・金門にて(標高800メートル地点)

2500万年もの前から姿形が変わっていないオオサンショウウオの存在は、進化の過程を知る上でも、重要なポジションであると言われております。
しかし、このように変わらない(=進化しない)というのは、どの時代においてもこれが最善の形態なのかもしれない、そう解釈することもできます。ただハッキリ言えることは、恐竜時代~現在までがそうであったように、これからも~、そして遠い未来においても同じ形であり続け、このフォルムは常に “時代を先取り” していく事でしょう。

ハンザキの出会いは時の運!
次はどんな出会いになるのか分かりませんが、5度目を心待ちしたいと思います。

★山陰里帰り★ 巨大ドンコ捕獲 *山陰のブチ怪物シリーズ*

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今回のお題は “ドンコ” です。山陰の里帰りの時に近くの川で捕獲したものです。

さて “ドンコ” といえば、どんこ椎茸(肉厚な椎茸)を連想する方が多いのではないでしょうか。
しかしそれが魚である場合、もしそこが東北であれば沿岸でよく釣れるエゾイソアイナメの事を意味し、西日本であれば淡水性の大型ハゼを意味します。またその他の魚でも地方名(別名)として使われる場面がちらほら…
このように “同じ呼名” であっても、実は全く “別の魚” である例は多々あり、特にこのドンコにおいては非常に誤解されやすい魚の一つであります。
“ドンコ“ という言葉の起源や本当の意味については知りませんが、(外見上からして)おそらく肉厚なものを形容するのに使われているのかもしれませんね。

今回、記事に書くのは後者のドンコ、つまり “西にいるドンコ” の事です。
生息分布上、少なくてもここ鎌倉にはいないし、関東でもあまり見かける事はありません。ただ西日本の河川には多く生息しているようで、カミさんの実家のある山陰地方(鳥取県大山町)の川でもよく見かけます。
私にとってドンコとは図鑑の世界でしか登場しない魚だったので、それ故に鳥取への里帰時に初めてこのドンコを捕った時の感動は今でも覚えております。ここにも多くのドンコが生息しますが、両手でおさまるような大型サイズを見るのは初めてだったので、ドンコを囲み撮影会になりました。

このドンコについて簡単に紹介しますと、
一般的にハゼの生活史は海と川を往来する種類が多い中、このドンコは完全淡水性の大型ハゼです。
魚類図鑑に載っている標準和名のドンコはこのハゼに該当しますので、(魚類上においては)これが本家本元のドンコと言ってよいでしょう。
外見的な特徴としては、全体的にはずんぐりむっくりな体型に黒色の大きなブチ模様、そして頭部は非常に大きく、口唇が分厚いのが特徴です。さすが肉食魚だけあって、口の中を覗くと尖った歯が何列も並び、それらの歯は全て内側に向いております。これは生きた魚を捕えるのに非常に適した形状になっており、一度ガブりと噛まれたら逃げる事ができません。また非常に貪欲なヤツで体長の半分ぐらいの魚であれば簡単に丸飲みしてしまいます。胸ビレは扇形で大きく、体を裏返してみると腹ビレは吸盤状ではなく完全に二つに分かれているのが特徴です。

頭部をはじめ、頬や眉間そして顎周りの筋肉が隆起し、まるで仁王像(金剛力士像)を思い浮かばせるような迫力ある形相でした。若いドンコは非常に愛らしい顔をしておりますが、ここまでの老成魚になると風格もそれ相応で、カッコ良く歳を重ねているな~と思いました。
撮影会が終わり、いよいよお別れ。ドンコは大きな胸ビレを波打たせ、私の手元から離れ深場へと消えていきました…。

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この本家本元をものにしたこのドンコという名も、それぞれの地方に行くと全く別の呼名に変わってしまいます。例えば、ここ鳥取地方ひとつとっても「ドンコが捕れました!」と言っても地元の人達は「ん?」と首をかしげ、バケツの中を覗いて初めて「あ~ボッカね」と皆が頷いてました。どうやらここではドンコ(標準和名)はあまり使われてなく “ボッカ” と呼ばれているようです。ややこしいなぁ…(オチ)。


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このドンコのお腹がパンパンなのは、決してノッコミ(産卵期で子持ち)だからではありません(因みにドンコの産卵期は夏季で、数カ月前には既に終わっているはずです)。捕獲時は、お腹がペチャんこでしたが、私の滞在期間中(4日間)、生け簀にこのドンコをはじめ釣ったタカハヤとカワムツなども入れて活かしておいたら・・・ご覧の通り(完食です)。さすが、この川の(お魚部門で)生態系の頂点に位置する大型肉食ハゼです。しかし、この川の生態系の頂点に君臨するのは、1メートルを超えるハンザキ(オオサンショウウオ)であって、そんな彼女の前では、この巨大ドンコですら餌になってしまうのです。

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そしてもう一つ感動したのは、ドンコの幼魚~成魚まで、様々なサイズが沢山いた事です。これは毎年ちゃんと子孫を残していて、繁殖環境も整っている証拠です。
これは当年生まれのヒヨッ子で、おそらく生後2カ月といったところでしょう。大きさはたった2センチほどですが、極小粒ながらも立派なドンコの姿をしております。この小さな川には多くのアシや水草が生茂り、これが幼魚にとって安全な環境と多くの餌を提供してくれる、いわばゆりかごのようなものです。こんな小さなプールでも様々な生き物が生息しており、まさに食うか?食われるか?の世界ですが、これらが互いに影響しあいながら絶妙なバランスで生態系が保たれているのですね。自然界ではごく当たり前な光景ですが、もし人間が(過剰に)入り込むと、この生態系の秩序はいとも簡単に壊れてしまうことをちゃんと理解しておかなければなりません。

★山陰(鳥取大山)里帰り★ 川ガニ(モクズガニ)捕り

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鳥取県ではモクズガニの事を「川ガニ」と呼ばれており、ここで川ガニと言えば100%「モクズガニ」の事を指します。鳥取では捕った川ガニを食べる習慣があり、シーズン(夏~秋)になると地元魚屋やスーパーの店頭でもよく見かけます。各家庭でもカニ捕りは季節の楽しみの1つであって、カミさんの実家の納屋にも例外なくカニ捕セットが備わっておりました。

さて、この木箱は何かと思いますか? この朽ち具合といい、只ならぬ時代の流れを感じさせてくれます。これは捕れたカニを一時的に活かしておく箱で、いわば簡易的な生け簀の役割をしております。驚くべきは、何と50年近く前に作られたもので、3世代にわたり今だ現役で使われており、その中の10年は私も関わっております。

当初、私は「捕ったカニは頑丈なナイロン製のネットに入れておけば大丈夫っしょ」・・・という容易な考えで、捕ったカニをネットに入れて川底においておきました。しかし翌日、破られて空っぽでした(全て脱走)。今度は(反省の意を込めて)念には念を押してネットを3重にしましたが、結果は同じで万事休す・・・。
その一部始終を見かねて、お義父さんが私に「アンタは野生生物の力をナメとる、この箱を使うといい」と、カニ箱を渡され、「フタを閉めてフックを掛ける、さらに大きな石をのせんと、こじ開けて逃げられてしまうけん」と。
初めは、ここまで頑丈で大袈裟な箱でなくても・・・と心の中で思いましたが、細部に至るまで全て理に適っており、使えば使うほど長い経験と知恵が詰まった箱であると実感しました(実践的機能美!)。今となっては、この箱がないと安心してカニ捕りができないほどのスグレモノで、帰省の度に真っ先に確認するのでした。

ここの部落には農家が多く、川から各家庭に水を引き、“自然の洗い場” を設けてあるのが一般的なようです。そこで農作物などを洗ったり、(飲料水以外の)生活用水として使われておりますが、ここで一時的に川カニをストックしているようです。この自然の洗い場は、川から直接引いているわけなので、時折ドジョウやハヤなどがの川魚がひょっこり姿をみせる事も・・・。ここではごく当たり前な光景みたいですが、私が棲んでいる鎌倉では絶対にありえない光景ですし、(魚好きには)この上ない風景で羨ましい限りです。

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モクズガニそのものは私の住んでいる鎌倉にも生息してますが “捕って食べる?” という感覚はありませんでした。それが大人になって鳥取の川で捕れた川カニを初めて食した時、あまりの旨さに感動したのを今でも覚えております。ここでのカニ捕りは「魚釣り」という狩猟的なドキドキ感より、むしろ「栗拾い」のような収穫的なワクワク感があります。

モクズガニのシンボルでもあるフサフサな鋏脚…、これは藻が生えているのではなく地毛、つまり剛毛な腕毛の持ち主といえます。この太く豪快なハサミをよく見ると先端部(茶色の箇所)だけ薄くなっており上下がピタッと噛み合わさる構造になっており、強鋏ながらも実は雑食性で細かい藻などを摘み取るのに適した形状になっております。

内水面において、モクズガニは古来から食用に利用され「がん汁」などが郷土料理として有名です。私の場合は塩茹でか蟹汁にしますが、蟹ミソ(中腸腺)や身は濃厚な味わいで、特にメスの殻の内側に秘めるオレンジ色の内子は究極の絶品といえます。それもそのはず、モクズガニは上海蟹(チュウゴクモクズガニ)の近種で見た目も味もほとんど同じ、しかも日本の川で採れた天然物を食べれるのが魅力ではないでしょうか。

モクズガニは生食禁止です(ウェステルマン肺吸虫の中間宿主である為)。必ず加熱して食べてください。

山陰(鳥取)里帰り★前編★ 大山(だいせん)山麓の魚達

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年に一度、秋にカミさんの実家である山陰(鳥取県大山町)に1週間ほど帰省します。
ウチの息子は “魔の2歳” から3歳になりました。飛行機の座席についても、2歳までは「おひざ」でしたか、3歳から自分の座席を有することになりました(※航空会社の航空券代の規定上、2歳までは無料で、3歳から有料になります)。全日空(ANA)のCAの笑顔と洗練されたサービスに息子も嬉しそう、羨ましい限りです。
羽田~米子間、約1時間ちょいの空の旅、米子空港からは境港線と山陰線の2ローカル線を使って大山方面に向います。

大山町(だいせんちょう)とは、日本海に面した大山(1729m)山麓にある小さい町です。
そんな町ながら海抜0m~1700mの標高差をもつ非常に珍しい町で、ここにいれば標高差による季節の移り変わりを同時に楽しむ事ができます。
この時期は大山の紅葉狩りをしたり、身近な小川で魚釣りや川ガ二獲りなどの水遊びを密かな楽しみにしており、40歳を超えた私もこの時ばかりは童心に帰ります。その小川にはカワムツ、タカハヤ、ドンコなどなど、(生息分布上)関東ではお目にかかれない西日本系の淡水魚が生息しておりますので、ワクワクです。
ただここ日本海沿岸地域ではあと2カ月もすると、ここら一帯は銀世界になります。

★松葉ガニ検定★ これを読んだらカニ検定80点以上取れます!

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冬の荒狂う日本海にて…

日本の地形上、夕日(西側の空)を背にした場合、もし海が左側にあれば=太平洋であり、右側にあれば=日本海です。当たり前といえば、当たり前なのですが、鎌倉(太平洋側)育ちの私からすると、夕日=海は左側という感覚が強く、この真逆の光景に立たされると、「あぁ、遥々日本海の地に来たんだなぁ」と実感します。

私のカミさんは、山陰(鳥取県大山町)出身で、またカミさんの誕生日である12月になると実家から松葉ガニが送られてきます。その恩恵に感謝し年に一度だけ贅沢させて頂きます。この松葉ガニというのは、いわゆる「ズワイガニ」の事をいいます。気候と栄養豊富な海域である日本海側育ちのズワイガニはとても美味とされ、それが、越前ガニ、松葉ガニ、間人(たいざ)ガニ、等、地域ブランド化されております。
同じズワイガニでも日本海産のブランド化されたカニは、その市場価値は他産のズワイガニの数倍~10倍と跳ね上がると言われ、それら偽装を避ける為、獲ったら蟹のハサミにブランドタグを巻いて区別をつけております(私からすればどのカニも美味しいですが)。

鳥取県産の松葉ガ二の中でも、2015年秋には新しいブランド「五輝星(いつきぼし)」が誕生しました。甲幅13.5cm以上、重さ1.2kg以上、そして姿が完全である事(手足の欠損がないなど)、ほか色合いや身入りなど厳しい基準などもクリアしたものだけが「五輝星」の名を与えられます。平均的には2万円前後と思われますが、それが初物(はつもの)である場合、何百万円と値がつく事もあります。

因みに、我々がカニとして喜んで食べているのはズワイガニのオス(♂)であって、メスはとても小さく「セコガニ」「親ガニ」という名で売られており、地元消費が主になります。値段も雄ガニの1/10程度(300~1000円ぐらい)で小さいゆえに身がわずかなため、汁物にしたり、卵や甲羅の内側にある内子(卵巣)を食したりするのが一般的です。
甲羅についている黒い点々は、カニ蛭(カニビル)といってこれが付着しているのは脱皮してからしばらく経つものを意味し、筋肉がしっかり形成し(=身が詰まっている状態)美味とされてます。つまり逆をいうと、脱皮した直後のカニの身は水っぽくて身が細くズボッと抜けるので「ズボガニ」といいまた殻が薄くて輸送も難しいので地元消費が主みたいです。

ちなみにこのズワイガニの寿命は?
魚の場合、鱗(うろこ)の年輪をみれば概ねは判定できますが、カニは脱皮により殻を脱ぎ捨てて成長するので何を指標にしたらいいのか分かっておりません。殻の径でおおよその脱皮数をみるそうです。ただメスに関しては11回の脱皮、オスは~13回脱皮をしたら生涯を終えると言われております。メスの場合、年に1度、定期的に脱皮するのですが(最長寿命は11年ぐらいと推測)、しかしオスは個体によって脱皮の時期はバラバラ(~13回/10数年と推定)。

「カニ検定」の参考資料に頂ければ幸いです。これを読んだ後にカニ検定をすると80点以上は取れると思います。

ババちゃん/タナカゲンゲ(ゲンゲの仲間の最大種)  **山陰松葉ガニ漁の名脇役**

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もう2月中旬です。あと2か月もすれば春です。
私事ですが、昨年末にわたし八鳥家に家族が一人増え、鳥取に里帰りしていたカミさんも来週には子供と一緒に鎌倉に戻ってきます。この数か月間、独身気分でしたがそれもあと数日でおしまい。新米パパとして気合が入ります。

さて、2月14日はバレンタイン日です。「バレンタイン」と称して大きな発泡スチロール箱がフィッシュナビ宛に届きました。送り主はカミさんなのですが、開封するとビックリ!何と「タナカゲンゲ」でした。以前、鳥取の魚屋で初めて出逢ったのですが、あまりの巨大さとマヌケなマスクに一目惚れ。この「タナカゲンゲ」はゲンゲの仲間では最大種に位置し、この画像のゲンゲでも90cmあります。地元では「ババちゃん」という名で親しまれ、日本海側では冬の時期(カニ漁のカニ網に一緒に入ってしまう)によく獲れます。つまり、カニ漁の時期でないと獲れない “季節限定の魚” でもあります。

見かけは画像の通り、
キツネのような…、柴犬のような…、魚とは思えない顔立ち。このマヌケ顔を決定づけるのは、目の位置のせいか? それとも分厚い唇のせいか? まぁ神様も変なものを作ったな~と思ってしまいます。しかし、このマヌケな見かけとは裏腹に、柔らかくプルンプルンした唇をめくると鋭い円錐状の歯が2列ズラッと並んでおり、手でこじ開けられない程の強靭なアゴの持ち主です。もしこんなのに噛まれたら悶絶しそうです。

あまりにもお腹がデップリしているので、子持ちかな?と腹を開けたら卵らしいものは存在しなく、胃袋の中に何かゴツゴツして何か入っている(恐)。そのフォルムが “手のひら” のように見え、もう嫌な予感しかしない。恐るおそる胃袋を切り開いて覗くと・・・キャー手のひら!・・ではなく、
手のひらサイズのヤナギガレイが3枚も重なり合っていました。もし本当に手のひらだったら、どう処理すればいいんだろう・・・、もう心臓バクバクものでした。

早速下処理⇒解体⇒調理に入りました。身はとってもアッサリしており、美味しく食べられます。食感は水っぽいタラのようですね。見かけの通りキレイな白身なので、揚物や鍋にすると美味しかったです。

感動!オオサンショウウオ(特別天然記念物)に出会う *山陰の妖怪シリーズ(後編)*

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日本固有種で世界最大の両性類であるオオサンショウウオ(大山椒魚)は国の特別天然記念物に指定されており、寿命は50年以上生きると言われております(過去の最大記録は全長150.5cm/体重は27.6kg/広島市安佐動物公園に標本が展示)。オオサンショウウオの祖先は恐竜時代から存在しており(化石の骨格により)、古代2300万年前から姿かたちを変えずに現在にまで至るので「生きた化石」とも言われております。中国山陰地方の清流に生息しており別名「ハンザキ」とも呼ばれ、ちょっとひと昔、地方山間部では貴重なタンパク源になっていたようです。

私にとって「オオサンショウウオ」とは図鑑の世界だけに登場し、まさに雲の上の存在でした。
まして山陰地方なんて私にとって縁もゆかりもない地でしたが、結婚を期に(カミさんは鳥取県大山町の出身)山陰が一気に近くなり、年に一度の山陰への里帰りが、私家族にとって年間行事の1つになりました。

そんな里帰時、恒例の川ガニ(モクズガニ)捕りでの出来事です。
仕掛けたカニ籠を引き上げようとしたらやけに重く、中を覗いたら茶褐色の肉感あふれる巨大生物にビックリ!カゴの中に入っていたのは、何と “オオサンショウウオ” でした。

地元の話では、このようにカニ籠に入る例は少なからずあるみたいで、おそらく網に入ったカニなどの獲物を捕食するために侵入したのではないかと考えられます。

「国の特別天然記念物」という肩書から、捕ることなんておろか、触れる事も禁止です。
タイトルでは感動!と記載しましたが「感動」というより、むしろ「罪悪感」に駆られてしまいました。兎にも角にも、まずはこのオオサンショウウオをここから出して逃がしてあげないとなりません。幸いこのカニ網は止め具を外せば容易に観音開きにできますので、カゴをを斜めにして恐る恐るタライの方へ誘導させ一安心。ちょっとだけ観察させてもらう事にしました。

それを見てカミさんが「あっハンザキ(地方名)だ」・・・と親しみ感あふれ、躊躇なく指でつついたり、脇腹のヒダヒダを伸ばして遊ぶ(←オイオイ)。子供の頃、誰々が煮て食べたよ(←え?)など、近所の誰々さんは餌付けしてペットのように可愛がっていたよ(←え?)などなど、オオサンショウウオを囲み(今となっては絶対NGな)異次元な会話が飛び交う・・。まぁ、特に珍しがる感じもなく、カミさんの家族や近所の人達にとって身近な存在で日常茶飯事のようです。その賑やかさにたお父さんが現れ「ハンザキに噛まれたら絶対に離さん!大怪我するので気を付けんといかんけん」とだけ忠告されましたが、それほど相手にされなかった事が逆に(罪悪感に浸っている)私にとって救いでありました。そしてすかさずメジャーを取り出し、慣れた手つきで全長を計測しておりました(日時・場所・サイズなどは貴重なデータとなり、後日、町役場に報告してました)。

くどいようですが、オオサンショウウオは「国の特別天然記念物」です。
速やかに撮影し、元の場所に戻してあげると、体をうねらせ深場へと消えていきました。感動の出会いと、呆気ない別れでした。

それにしてもオオサンショウウオを食べた事があるのは魯山人(ろさんじん)しかいないだろうと思っていましたが(魯山人味道より※)、まさかこんなに身近にこのような噂があったとは(驚)。こんなきわどい会話も、もう30年も前の出来事なので時効という事で、これもオオサンショウウオ生息地ならではの会話なのかもしれません。

【画像解説】
(1)中国地方最高峰の鳥取大山(標高1729m)
(2)大山6合目を超えると山壁の岩肌が露出し荒々しい景観をみせる。
(3)大山山麓には2800ヘクタールに及ぶ西日本最大規模のブナ林が広がる。
(4)人里近くの川でもこういう流込みや障害物もオオサンショウオ格好の棲家となる。
(5)全体像(大きさは約80cm強)、尾には仲間同士の戦で出来たと思われる古傷が残る。
(6)目は?とても小さくどこにあるか分からないほど。視力は弱いが嗅覚は発達している。
(7)前足の指は4本、後足の指は5本(赤ちゃんの手みたいで、かわいい)
(8)脇腹の肋骨(あばら骨)が存在しなく、体の側面に皮膚が集まりヒダ状になっているのが特徴。
(9)おはぎ?饅頭?それともお餅?いやいや正面から見た顔です。偏平で口が裂けるほど大きい。
(10)カワムツ、タカハヤ、ニシシマドジョウ、ドンコ、カニ類が多く棲んでおり川魚の宝庫。
(11)カニ捕り風景。カゴに魚のアラを入れて仕掛けておくと、川ガニ(モクズガニ)が入る仕組み。

私が思うオオサンショウウオの生息域とは、人すら寄せつけない深山幽谷に潜むというイメージがありましたが、まさかこんなに人里近くの川にも暮らしているとは思いませんでした。
そして私が初めてオオサンショウウオを見た感想は、両生類のくくりというよりは恐竜的であり…、骨董的でもあり…、独特な雰因気を醸し出しておりました。
その風貌からいったい何年生きているのだろうか?まるで山陰の妖怪を思わせるようであった。

「山椒魚」の名の由来は、山椒のような香りがすることからきています。
これは是非とも確かめてみたく適度な距離をとって匂いをクンクン嗅ぎましたが残念ながら何も匂いませんでした。おそらく匂いの元となる分泌液が出ないと山椒の香りを発しないのかもしれません。ちょっと残念ですが、これも一つの経験として大きな収穫でした。

オオサンショウウオのチャームポイントといえば、あまりにも小さすぎる瞳。視力が弱く目の前に獲物が通るまでジッと待ち続ける、いわば「待ち伏せ型の捕食者」で夜間に狩りを行います。
口は大きく裂け強力なアゴの持ち主。そこには小さな歯がたくさん並び、上顎には鋭い鋤骨歯(じょこつし)が備わっており、一度捕えられた獲物はもう逃げられません。週に一度、何かしらの獲物にありつければ、それだけで十分に生きていけるそうです。

相手は国の特別天然記念物です。見かけた場合には、触れる事なくそっと見守る事が前提です。
今回は触れずに逃がす事ができましたが、もし何らかで捕獲してしまい、緊急措置としてやむを得ず触らなければならない状況になった場合、(ご自身の身の安全も含め)その取扱い方に十分に注意してください。目の前に動くものは反射的にガブっと噛みつく性質があり、相手は強靭な顎の持ち主!もし手を噛まれようなら確実に大怪我します。
あとは管轄する行政(役場)へ報告しておくとよいでしょう(生息域の貴重な情報になります)。

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【編集後記】
ここら一帯は30年程前に河川護岸や改修工事がなされ、今現在も下流域で大掛かりな護岸工事をしておりました。オオサンショウウオにとってより棲みづらい環境になりつつあろうが、このような人工物も何とか自分の棲家として利用しながら生き永らえているのですね。
後々、カミさんから聞いた話ですが、今から16年前の話、1993年(平成5年)この大山市内の川の上流に産業廃棄物処理場が出来ました。しかし国の特別天然記念物であるオオサンショウウオが生息地として知られており、地元の方々は「オオサンショウオを守る会」を立上げ住民活動を起こし、町と県に対して廃棄物処理場の中止を訴え続け、その翌年に引上げとなりました(現在その跡地は農免道路になっております)。
このようにオオサンショウウオの宝庫として現在も残っているのは、決して当たり前な事ではなく地元の方々の支えと絶え間ない努力があってからこそですね。

今年で6回目の里帰り、そのうち2回目撃しております(1度目は2006年1月、雪が降りしきる真冬に川底に歩いていたのを目撃。そして2度目は今回2009年9月)。偶然での確率はとても高く、いつの日か3度目の遭遇を心待ちにしている。

※)魯山人(ろさんじん/北大路魯山人/1883~1959(明治16年~昭和34年) がオオサンショウウオを食べたというのは有名な話。
魯山人著作『魯山人味道(中央公論社/1995年発売)』にオオサンショウオの事が詳しく書かれております。
陶芸・美術家だけでなく美食家としても名を馳せた魯山人、この中で多くの珍味を食べてきた中で一番美味なものは?…という問いに対して “オオサンショウオ” と答えています。スッポンとフグの合の子と例え、味はスッポンを品よくしたぐらい美味であるという。身を捌いた際に山椒の芳香が客間まで届きずいぶんと風情のある趣きを添えたのを覚えている…そう書き締めくくっております。このオオサンショウウオの記事そのものは昭和34年に書かれたものみたいですが、オオサンショウウオの料理レシピや客人をもてなす様子が6ページにわたり書いてあります。
勿論、相手は特別天然記念物なので、これを食材で再現する事は不可能ですが(そんなつもりも毛頭ありませんが)、オオサンショウウオを多方面から知る上で、非常に興味深い内容が書いてあります。興味のある方は是非読んでみてはいかがでしょうか。

巨大クラゲ(エチゼンクラゲ) VS 天敵ウマズラハギ *山陰の妖怪シリーズ(前編)* 

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私にとって「日本海」とは…、神奈川県生まれで太平洋しかしらない私にとって縁もゆかりもなく演歌の世界にだけ登場するものでしたが、結婚を期に(カミさんは鳥取出身)山陰地方や日本海の距離が一気に近くなり、年に一度の里帰りが八鳥家にとって年間行事の1つになっております。          
今回の帰省は9月中旬…
今年2009年からシルバーウイーク連休の制度が導入され、この時期に飛行機で帰るとかなり割高になるので今回の移動手段は電車を選択、道草なしで約8時間の旅となりました(鎌倉⇒新横浜⇒岡山⇒米子⇒名和)。山陰本線という日本海沿岸を走るローカル線(単線のワンマン電車)で最寄駅は名和(なわ)という無人駅です。その田舎的な雰因気はオツなものであるが、いかんせん運行が1時間で1本のみなので乗り遅れようなら命取りです。

9月に鳥取に行くのは初めて。この時期は海は閑散としているものの、まだ夏の名残を楽しむ感じで、秋を迎えるにはちょっと早い気がしました。
この頃、蕎麦の花がちょうど満開で、蕎麦の花一輪一輪はとても小さいですが一斉に咲くと広大な畑一面を白く染め上げます。天気が良ければ大山を背に咲き乱れる蕎麦の花を眺める事ができます。「蕎麦の花が咲けば鮎が川を降り始める」…ということわざがあり、これは夏も終わりを意味しますが、海水温に関しては依然と高く南方性の魚やクラゲをよく目にします。

実家の最寄の港は、御来屋(みくりや)漁港というところなのですが、ここ日本海のこの時期(水温の高い夏~秋季に)でよく目にするのが「エチゼンクラゲ」、それはまるで傘のように大きく重さも100kgをゆうに超えます。初めて見た時はあまりの大きさにタマげたのを今でも覚えています。このエチゼンクラゲの本来の繁殖地は、中国(黄海~渤海)でその一部が海流に乗って日本海に入ってくるようです。ここ近年は富栄養化や地球温暖化はクラゲにとって育ちやすい環境となりクラゲが大発生が目立つようになりましたが、特に今年2009年は異常なほどの大発生でした。

この大発生は漁業においては深刻なダメージで、底曵網や定置網の中を巨大クラゲが埋め尽くし圧迫された魚が傷ついたり死んだりして魚の商品価値を下げてしまうので、漁師達にとって大きな悩みの種で死活問題なのです。ピアノ線を施した網を船で曳き浮遊するクラゲを切ったりしているものの、根本的な解決にはなっていないようです。

あともう1つ問題なのは、魚と一緒に獲れてしまった「エチゼンクラゲ」の処分についてです。
食としてもあまり適さず(食べれない訳ではありませんが手間暇かかりコストが見合わない)そもそもクラゲの需要自体が日本では少ない。クラゲ自体は9割以上は水で形成されているので陸上げしてそのまま放置すればいずれは無くなるのですが、その大量のクラゲを置く場所やそれらの腐敗臭に問題があり、殆どは粉砕し産業廃棄物として処理されているのが現状。食材だけでなく医療や化粧品、そして肥料として再利用を模索しているみたいですがそれはほんの一部であって、それを賄うだけの需要にはなってないようです。

実はそんなエチゼンクラゲにも天敵がおり、それはウマヅラハギ集団。
彼らは容赦なくクラゲに襲い掛かり、まるでピラニア猛攻のようです。目の前に泳いでいるエチゼンクラゲもボロボロになりながら必死に逃げている様子が目の前で確認されました。このウマズラハギが救世主になるといいですね。
このような大発生には、人的要因もあれば、自然的要因もあり、一度そうなると人間の力だけでは容易に変えられないものです。増えすぎてもダメ、でも減り過ぎてもダメ、良いバランスになって欲しいです。

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